西南戦争敗北の原因から現代人が学ぶ事

日本最後の内戦である西南戦争は明治新政府の勝利に終わります。

この戦いは明治維新以後に急速な近代化を図る新政府の方針について行けず時代に取り残されてしまった士族たちが、鹿児島に帰郷していた西郷隆盛を盟主にして戦いを挑んだ日本人同士の最後の戦いです。

なぜ明治維新最大の功労者である西郷隆盛と旧薩摩藩を中心とする武士たちは戦いに敗れていったのかを考える事で、今日活用できるビジネスのヒントを見つけてみたいと思います。

 

情報収集力の乏しい旧薩摩軍

西洋の進んだ文明に触れた新政府は、武士という存在を全面的に否定していて中央集権化された近代国家の確立を急いでいきます。

薩摩藩が新政府に対して数々の不満がある事は新政府は既に察知していました。

新政府は、地租改正を行い財政基盤を確立してすでに経済力があり、すでに官僚機構の基礎が整いつつあります。

パリに警察制度の留学にいった川路利良により、治安維持のシステムが確立していました。

薩摩藩の動向は川路たちが放った密偵により多くの情報の収集がなされており、もしも薩摩藩に反政府的な動きがあれば直ちに行動できる体制を整えていたといわれています。

対する薩摩藩は鹿児島の地にあり政府の動きは新聞や伝聞以外には収集できず、情報格差がある状態でした。

時代遅れの薩摩藩

当時の薩摩藩は、新政府の命令を無視し、未だに廃刀令を無視して刀を差す武士が存在する独立国の様相がありました。

この当時日本を取りまく国際情勢は極めて緊迫化していました。

中国はアヘン戦争以後英国や仏国に支配されつつあり、またインドもイギリスによりインド帝国が成立し直接統治が進むなど。

薩摩藩が自分たちの論理を主張し、国を分断化する事を認める事ができるほどの余裕は当時の日本にはありませんでした。

明治新政府にはこうした国際情勢に対する強い危機意識はありましたが、薩摩藩には薩摩第一主義ともいうべき世界観にとらわれて世界的な意識で世の中を考えるというグローバルな視点は欠けていたといえます。

もしも薩摩藩に新しい時代には新しい時代の生き方があるはずだという、いい意味での割り切りができていれば新政府と妥協し西南戦争はぎりぎりの段階で回避できたかもしれません。

薩摩軍の崩壊と新しい時代の到来

旧薩摩藩は、西郷隆盛を担いだにも関わらず西南戦争に敗北してしまいます。

理由は圧倒的な装備の差です。

政府は資金調達能力がある事を背景として、続々と多くの近代兵器を投入してきます。

兵力も続々と動員できます。

これに対して薩摩軍は銃弾そして兵力に限りがありました。

銃弾は途中から政府の銃弾を拾ったり武器を奪うなど、およそ戦に勝利する戦いとはいえない状態で、最後は石を投げつけるなど資金調達能力のなさを露呈しまいました。

    

まとめ

西南戦争からは、「幅広い視点で物事をみて常に情報戦と資金力で優位にたてる側が勝利する」ということを教えてくれていると思います。

企業のビジネスではお客様のニーズをいち早く収集し競争相手の動向を常に注意深く分析をおこない、よりいいサービスを提供していく企業が勝利していきます。

そして情報を幅広く得るためには資金力も大事となってきます。

より多くの情報を迅速に集めるには経済的な基盤は必要です。

特にこれからの時代は、いかに時代が変化していくか世界的な視野に立てる事が大事です。

薩摩藩は西郷隆盛という一人の人物に絶大なる信頼を寄せすぎてしまい、他の動向をあまり重視しませんでした。

私たちは西南戦争から情報集力や資金力、そしてより広い視点で物事を判断する事の大事さを学べると考えます。